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春日部教会司牧訪問



2015年1月18日 年間第二主日 B年


カトリック春日部教会

第一朗読 サムエル上3・3b-10,19
第二朗読 一コリント6・13c-15a,17-20
福音朗読 ヨハネ1・35-42

―わたしたちへの召命とは―

年間第二主日の三つの聖書朗読に共通している主題は「召命」ということです。神様はすべての人に呼びかけ、応答を求めています。神様の呼びかけを聞き、それに応える、ということがわたしたちの生き方の基本であります。

今日のヨハネの福音では、最初の弟子たち、ペトロ、アンデレ、ヨハネの召命が告げられています。彼らの一生はこのイエスとの出会いによって決められました。後日この出会いの日を懐かしく思い出したことでしょう。

第一朗読はよく知られている、少年サムエルの美しい召命の話です。神は神殿で神にささげられた少年サムエルに呼びかけます。神は少年サムエルに呼びかけましたが、サムエルは、それが神の呼びかけであるとは気がつきませんでした。四度目の呼びかけに対してサムエルは祭司エリの言葉に従い、「どうぞお話ください。僕は聞いております」と答えました。このサムエルの言葉がわたしたち信者のあるべき態度です。

また第二朗読でパウロは言います。
「みだらな行いを避けなさい。・・・あなたがたの体は、神からいただいた聖霊の宿る神殿であり、あなたがたはもはや自分人のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。自分の体で神の栄光を現しなさい。」(一コリント6・18-20)

パウロによれば、わたしたちの召命は「体で神の栄光を現す」ということです。パウロは、体でみだらな行いをして聖霊の神殿である自分の体を汚すことがあってはならない、と言っています。
 
「親の心子知らず」ということわざがあります。わたしたちは天の父の思いをどれだけ分かっているでしょうか。あまり分かっていないような気がします。

召命とは神の呼びかけです。神の呼びかけ自体をわたしたちはどのように理解しているのかが、問題です。神様が何を望んでおられるのか、サムエルのように、何度も何度も神様の呼びかけに耳を傾けなければなりません。人の声に耳を傾けることは易しくはありません。まして神様の声にきき従うとは大変なことです。「体で神の栄光を現す」とは何であるのか、しみじみ考え祈り求めるべき課題です。

わたしたちは個人としてだけでなく教会としても、神の呼びかけに応える子としての生き方を選ばなければなりません。その生き方とはいわば、闇の中にキリストの光、復活の光を灯すということにたとえられると考えます。

困難な状況の中でわたしたちさいたま教区は多国籍・多文化共生の教区として、互いの文化の違いを認め受入れ合い尊重しながら成長していかなければなりません。この春日部教会は、まさに多国籍・多文化共生の教会の見本であります。子どもが多く、みな元気です。明日の教会を築くのは多文化共生の教会の、今の子どもたちです。ここのわたしたちの希望があります。

「クリスマスと新年の挨拶」として皆さんに贈った言葉から引用します。
「あなたがたの神はどこにいるのか」という嘲りを受ける思いがしてくる現実が今の世界に存在します。不毛、絶望、暗闇の中に置かれている思いがすることがあります。しかし、その闇の中にキリストの復活の光がともっています。この大地にはすべての人を生かす神の力が宿っています。キリストは闇に打ち勝ち、わたしたちへ絶えず光と力を与えてくださいます。その日がくると、「水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる」のです。

 皆さんの明るい元気な姿と働きによって現代日本社会を照らし、人々へ希望の光を届けるよう、がんばってください。 

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