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「宣教・福音化年」水戸教会ミサ



7月1日(土) 水戸教会 


茨城県 第一回 「宣教・福音化年」の信仰講座 

第一朗読 創世記18・1-15
福音朗読 マタイ8・5-17

 今日、水戸教会に集まって、信仰の証の分ちあいという素晴らしいひと時を過ごすことができましたことを、本当にありがたく感謝いたします。折しも今日は日本の殉教者を記念する日であります。2007年の11月でしたが、ペトロ岐部と187人の殉教者が日本の長崎で列福されました。この人たちは、およそ400年前にこの日本の地で、自分の信仰を勇気を持って力強く証し、命を捧げた人たちでありました。現代の日本で迫害ということはありませんが、違う意味で信仰を証しすることには困難がある時代であるかもしれません。

 今日の福音に出てきます百人隊長の信仰に倣って、わたしたちも自分の信仰を力強く宣言し、実行するものでありたいと思います。福音書を読むと、主イエスは何人かの人について、その信仰を称賛しています。“あなたの信仰があなたを救った”と言われたり、今日のように“イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。”と言われました。この百人隊長は多分、ローマが支配しておりましたので、ローマ帝国の将校で、百人隊長ですからね、百人の兵隊がついていたのでしょうけれども、わざわざ来ていただくには及ばない。「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません、ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」と、おいでにならなくとも、ひと言おっしゃっていただくだけで、充分です、そうしていただけば、わたしの僕は病気から解放されます、と、そういったわけですね。このようなしっかりした信仰を、わたしたちも持ちたいものだと思います。イエス・キリストは誰であるのか、どんな人であるかということを、わたしたちは学んできました。今も学んでいます。イエス・キリストは救い主である。救い主であるというのは、どういうことでしょうか。イエスの生涯を見ると、多くの病人を癒し、障がい者を癒し、そして悪霊に憑かれた人から悪霊を追放したとあります。さらに、わたしたちは自分の中にある色々な問題、それは罪と悪という名前で呼ばれていますが、罪と悪からの解放を切に願い求めている。そのイエスは、わたしたちの罪をゆるし、わたしたちを罪から解放してくださる方です。わたしたちはさらにそのような人であることを堅く信じ、そのような人の導きに従って生きている者であるということを、自分の言葉、それから、自分の生活、自分の行動で表していかなければならないなと、つくづく思います。

 先ほど、5人の方々がそれぞれの信仰の体験、信仰の証をしてくださいました。ご自分で体験したことを、ご自分の言葉で率直に話してくださったことを、わたくしは大変良いことだと思います。このような機会がもっともっと増えていけばよいなと思います。そうすることによって、わたしたちの信仰はお互いにより確かな、より豊かなものになっていくのではないでしょうか。

 ところで、この百人隊長の言葉ですが、“ただひと言おっしゃっていただければ、わたしの僕は癒されます。”と。この、言葉というものに対する信頼があるんですね。イエスの言葉は、その言葉の指している内容、つまり癒すということは、必ず実現すると信じていた。わたしたちもお互いに自分の言葉を大切にし、そして神様の言葉をもっとしっかり受け止めるようでありたい。先ほどの5人の方のお話の中に、確か3つの大切な言葉という話が出てきましたですね。それは、 “ありがとう。ごめんなさい。どうぞ”の三つでした。わたしたちは毎日、この言葉を使っていますね。習慣になっていますので、さほど心に留めずに口から出てくるかもしれませんが、これからは、有難うと言うからには本当に有難いと思っていないといけない。思っていないけれども、とりあえずそう言っておくという。ごめんなさいも、本当にごめんなさいと思っていないけれども、そう言ったほうが安全だとかね。わたしのことですから、皆さんのこととは言っていませんが。これは素晴らしい言葉なのです。本当にわたしたちは自分の言葉に、もっと心を込め、責任をとるようにしたいと。

 そこで話の繋がりは良くないんですけれども、わたしたちは自分の信じていることを言葉にし、そして、その言葉に基づいて、実行する。信じることと、口にすることと、行うことが一致するようでありたい。口先だけ、とりあえず言うということではなくて、本当に信じている、本当に心で思っていることを言葉にする。どの言葉、どの言語も素晴らしい言葉なんですけれども、わたくしは日本人なので、わたしたちは毎日使う自分の言葉を大切にしたい。そして、祈ることは、色々なやり方がありますが、言葉で神様にお願いする、賛美する、感謝するということがお祈りでありまして。先ほど皆さんが讃美歌ですかね、聖歌をお歌いになりましたが、昔からよく言われていますが、歌で祈ることは三倍よく祈ることになると言われますが、自分が心にある言葉を口にするときに、心を込めて神様に捧げるならば、それは素晴らしい祈りになるのであります。

 さいたま教区、宣教・福音化年。この年、わたくしが皆様にお願いしたこの呼びかけが、このような形で皆さんの間で実行され、広がっていくことを今日、目の当たりにして、わたくしも大変励まされました。さいたま教区の福音宣教は、今日ものすごく一歩前進したような気がします。皆さん、ありがとうございます。これからもしっかり一緒にやっていきたいと思います。今日はありがとうございました。

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