カトリックさいたま教区
ホーム・Home初めての方へ・Welecomeお問い合わせ・Contactサイトマップ・Sitemapご利用について・Conditions of Useリンク・Links文字サイズ・Text sizeQRコード
カトリックさいたま教区

教区管理者 APOSTOLIC ADMINISTRATOR



メッセージの記録一覧に戻る

尾方昭二神父葬儀ミサ



2017年3月17日 浦和教会


第一朗読:イザヤ 25-6a,7-9
福音朗読:ヨハネ 14:1-6

 わたしどもは今日、ステファノ尾方昭二神父様のご葬儀に集まり、ともに祈っています。
「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われた主キリストに仕え、道であるキリストを人々に説き、そしてご自身、キリストの道を歩むものとして、長い年月をお献げになりました。

 誰にとっても、死ということは人生の重要な出来事であります。わたしたちキリスト信者にとって、「死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わったのちも、天に永遠のすみかが備えられている」と信じております。この言葉は、今日唱える、死者のためのミサの序章にある言葉であります。

今、読まれた福音は、主イエスは、わたしたちのために天にすみかを用意してくださるということを告げています。
「わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14・2)
この主イエスのみ言葉を尾方神父さんは、人々に述べ伝え、そしてご自身も、主イエスが用意して下さっている父のもとへと旅立たれたのであります。

「信じる者にとって、死は、滅びではない、新しい命への出発である。」
この福音は、すでに旧約聖書のイザヤの書で述べられていることでした。
「主はこの山で、すべての民を包んでいた布と、すべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼして下さる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。」(イザヤ25・7-8参照)
イザヤがすでにこのように述べております。

 わたしたち人間は、本来、神の似姿として造られ、神との親しい交わりのもとにおかれておりましたが、ふとしたことから、神との親しい交わりを失ってしまいました。神の御一人子、イエス・キリストは、ご自分の命を天の御父にお捧げになり、わたしたちのために、すべての人のために、神との交わりを回復してくださったのであります。わたしたちの信仰は、主イエス・キリストの死と復活への信仰であります。

尾方神父様の葬儀に際し、配布されておりますカード、神父様の笑顔のうつっているご絵でありますが、これに記されているみ言葉は、「しあわせな人、神をおそれ、主の道を歩む者」であります。尾方神父さんは、この言葉を説き、そしてご自身、そのように生きようと努められたと思います。

わたしたち人間は誰しも弱さ、もろさを持っている。そのもろさ、弱さの中で、司祭として生涯を全うした尾方神父さんを、慈しみ深い主が、暖かく優しく受け入れ、永久の安息を与えてくださいますよう、ご一緒にお祈りいたしましょう。

メッセージの記録一覧に戻る
CGI-design