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教区司祭・助祭3月の命日記念ミサ



2017年3月10日 命日記念ミサ 浦和教会


故 ピエール・フラマン神父
故 マチア 山根俊夫神父
故 パウロ・ロべンス神父
故 フランシスコ・アシジ 齋籐紳二助祭

第一朗読 エゼキエル18・21-28
福音朗読 マタイ5・20-26

今日は、4人の方々、3人の司祭と1人の助祭の方々の命日記念ミサをお献げいたします。
4人の中で、斉藤助祭は2015年3月13日に帰天されました。助祭として教区のために、多くの人々のために奉仕してくださったことを改めて感謝申し上げましょう。

山根神父様は‘93年3月19日帰天されました。私の思い出で恐縮ですけれども、私は'91年9月に浦和司教に就任しまして、初めての教区司祭の葬儀が、山根神父様の葬儀でありました。3月19日という日、聖ヨセフの日でありますので、記憶に非常に鮮明であります。神父様の永久の安息のためにお祈りいたしましょう。

今日のイエズス様のお言葉について少しだけ、ご一緒に分かち合いをしたいと思います。
「あなたがたの義が律法学者ファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」と言われました。
モーセを通してイスラエルの民は10の戒めを受け取っております。その中の5番目が「殺してはならない。」という第5戒であります。もちろんすべての時代、すべての国で殺人は重大な刑罰を受ける犯罪でありますが、もちろんどの宗教でも殺してはいけないという教えを持っております。ここで言われていることは、殺してはいけないということは、ただ、人の生命を奪うということだけではなくて、人の命を傷つけるということ、人の存在を、無視したり、あるいは大切にしない、そういうことをすべて含んでいることだと思われます。兄弟に『ばか』という者、あるいは『愚か者』という者は、それだけで、罰せられるとイエズス様が言っています。私たちは、まさか人を殺すということは、したことないし、することもないと思います。しかし、人を傷つけたり、人を恨んだり、あるいは罵ったりするということは、ないわけではない。あるいは、しょっちゅうしているかもしれません。

今日の答唱詩編ですけども、「これは深い淵から」という言葉で始まる有名な痛悔の詩編です。
「深い淵からあなたに叫ぶ、このみじめな私を憐れんでください。」
「あなたが悪に目を留められるなら、だれがみ前に立てよう。」
この私のすべて、私の、特に、心の動きをすべてご存知のあなた、神様、人には取り繕うことができるかもしれませんが、神様、あなたはすべてをお見通しです。

気にくわない人がいる。あの人がいなければいいのになあ。腹が立つなあ。心の中で、いろいろ罵ることがあります。
「怒り」ということについて書いた本がよく目につきます。「人はなぜ怒るのか。」これは会社でも重大な問題のようで、講習会などをやっているようであります。怒るということには、それなりに理由があるわけです。自分の思うように人がしてくれない。例えば、こうしろと言ったのに、しない。あるいはしてるけれどもやり方がよくない。頼んでもいないのに、余計なことをした。などきりがありません。他の人が自分の満足するようにするということは、完全にはあり得ません。なぜかというと、こちらの望むことを相手が完全に理解するわけではない。あるいは理解したとしても、そうしてあげると相手が思うわけではないからです。私たちは、ですから通常、大切なこと、業務上のことはきちんと了解してから、するように心がけておりますが、それ以外のことについては、お互いに忍耐するしかありません。わからないのですから、あるいはできないのですから仕方がないと思います。

それはともかく、他の人が自分の期待通りにしてくれないということを見れば、きりがありませんが、毎日、他の人が、自分のために、いろんなことをしてくださっているということを、もっとたびたび深く思い、感謝しなければならない。私たちの日々の生活は他の人からしていただくことで成り立っているわけで、その中のほんの小さなことが気に入らないからといって、その人全体に対する否定的な判断をするのは、大きな間違いであると思います。

さて、私たちは神の前に立つ時に、本当に、神様に喜んでいただけるような自分ではないということをしみじみと思います。そしてそのような私を憐れんでくださいと願います。
ミサの時に、「主よ憐み給え」と祈りますが、私たちは日々、特に、就寝、寝る時に、今日一日のことを思い起こし、頂いた恵に感謝し、そして神様のみ心に応えられなかったこと、隣人を傷つけたことについてお赦しを願う祈りをお献げしているのであります。
四旬節にあたり、私たちが自分の罪と弱さを神様の前に認め、そして心から赦しを願い、憐みを与えてくださるよう祈りましょう。

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