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教区司祭2月の命日記念ミサ



2017年2月17日 命日記念ミサ 浦和教会


第一朗読 創世記11.1〜9
福音朗読 マルコ8.34〜9.1

今日は2月にご命日を迎えられるお二人、長江恵司教様とシャルル・アンドレ神父様のご命日を記念するミサを献げます。長江司教様は1998年2月11日に帰天されました。この日、私は佐賀県に講演を頼まれて行っていたという記憶がございます。第2バチカン公会議に出席されて、典礼の刷新のために、また確か現代世界憲章の起草のために尽力されました。
シャルル・アンドレ神父様は皆様よくご存じの方であります。この浦和教会にも何年間か在任されました。2012年2月16日に帰天されました。お二人の働きに心から感謝し、永久の安息のためにお祈りいたしましょう。

今日の聖書について一言思うことを申し上げます。第一朗読は創世記11章、いわゆるバベルの塔の建設の話でありました。人々は天まで届く塔のある町をたてます。天まで届く塔というのは、人間の思い上がりということを表しているように思います。神によって造られ、神のみ心に従って生き、神のみ心に従って、この地上を神様のお望みになる世界にするようにと、神から命じられている人間でありますのに、自分達の思いに従い、自分達の都合や、便利な快適な生活をするために、神様のみ心に逆らうようなことをしてしまった人々の姿がバベルの塔という言葉で表されていると思われます。

これは現代の私たちの状態でもあると思います。教皇フランシスコは『ラウダート・シ』という回勅を出され、環境破壊について私たちの在り方をはっきりと強く警告しています。その中には気候変動とか、自然破壊とか、あるいは原子力発電のことも入っているのかもしれないと思います。

今日の福音は、マルコの8章。私たちの信仰の中心にある教えであります。イエスの弟子は日々、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に、イエスについてきなさい。自分の命を救いたいものは、それを失うことになるが、福音のため命を捨てる者はそれを得ることになる。

ちょうど2月7日に大阪でユスト高山右近の列福式が行われました。イエスのこの教えを身をもって生きた証人の一人が高山右近であったと思います。

26聖人殉教者の中に、まだ年のいかない少年がおりまして、ルドビコ茨木という方がいたそうです。確か東京の豊田教会はこのルドビコ茨木の教会になっております。そのような年端も行かない少年が、どうして素晴らしい殉教を遂げることができたのでしょうか。自分の力によらず、一切を復活したキリストにゆだねて、京都から長崎まで長い道を歩かされたのですね。これは大変なことで、とてもできそうもないなと思いますが、自分を捨ててすべてを主キリストにゆだねるものにとっては、できないことではないというように解説している人がおります。

他方、教会の看板などによく見ますが、「誰でも疲れている人、重荷を負う人は私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」この二つの言葉、同じキリストの言葉として、「十字架を背負ってついて来なさい」という言葉と「わたしのところに来なさい休ませてあげよう」という言葉が同じ人から出ているわけでして、ちょっと聞いたところ、矛盾するようでありますが、私たちの信仰の中心にはこの二つが調和しているのだろうと思います。ルドビコ茨木という人は、そのような深い考察をしたわけではないでしょうけれども、すべてを救い主キリストにゆだねて、長い道のりを歩みました。私たちにもそのような、単純だけれども、深い信仰が与えられますように祈りたいと思います。

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