カトリックさいたま教区
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司祭・助祭の集い・派遣ミサ



12月6日 司祭・助祭の集い・派遣ミサ


第一朗読 イザヤ40・1-11
福音朗読 マタイ18・12-14


 2016年の司祭・助祭の集い、今無事に、そして色々な実りを持って終了しようとしています。この集いを準備し、企画し、そして運営してくださった神父様方には、特に感謝申し上げます。
 今、この解散のミサを捧げるにあたり、わたしの胸に浮かんでくる一人の司祭のことを申し上げたいと思います。それは、さいたま教区の司祭で先日亡くなられた清水宏神父様のことであります。清水神父様とわたくしは、同期で上智大学の哲学科に入学した仲でございます。清水神父様は洗礼以来の年数が足りなかったからでしょうか、神学院には入学、入居しないで、上智大学の校内にあった学生寮にいたのではないかと思います。それから何十年も経って、わたくしは皆さまの、さいたま教区の教区管理者となりました。神学生として上智大学に入学して以来、長い年月が過ぎて、そしてそろそろですね、同窓会あるいは同期会をやろうという声が上がって、最近毎年同期の人たちに声がかかるようになりました。入学した年は1967年です。秋の9月の良い日柄を選んで、幹事さんが連絡をしてくれるのですけれども、毎回わたくしは先約があって欠席でしたが、今年はやっと出席することができた。そこに清水神父様が来ました。もう何年ぶりでしょうかね、お会いしました。しかし、その時すでに具合が悪いようでありました。それから一か月位して、急に亡くなられた。赤羽のホテルで、急に病気が進んで起きてこられない状態になり、緊急搬送されて、その先の病院で亡くなられました。鈴木神父様が知らせを受けて、お見舞いし、病者の塗油を授けることができたことは、幸いであったと思います。清水神父様は最後の任命は、草加教会で、草加教会を退いてからは那須のアルスの家でお過ごしになっていたわけですが、わたしたちも心配して、健康診断を受けるように、治療を受けるようにと願い、そのように勧めましたが、うまく話しが通じなかった。もしかしたら、自分の病気をはっきりと自覚していたのかもしれません。
 神父様はイタリア、ドイツなどで勉強されて、旧約聖書の研究に携わっておりました。そして、上智大学編集の「新カトリック大事典」の編纂にも多大なる貢献をした方であります。
ところで、今東京教区の司祭で清水神父様の通夜葬儀に出席なさった方から聞いいた話は非常に印象的でした。この司祭は清水神父様と非常に親しかったのです。色んなことを清水神父様はこの司祭、西川という人ですが、彼に話していたのです。
また、「新カトリック大事典」の編纂の時に一緒に仕事をした女性には病院から連絡が行って、その女性の方も駆けつけてくれた。そして、その女性の方には色んなことを頼んだということがわかりました。それでさらに最近、この女性の方が書いた文章をたまたま読む機会がありました。それを読むと清水神父様の最期の様子がそこに書かれているんですね。全くわたくしに知られていなかった清水神父様の非常に人間的な姿がそこにある。
そしてさらに、さらに葬儀の時にお姉さまが最後に一言おっしゃいました。子どもの時の清水神父様の姿を我々に教えてくれた。これもわたくしには、全く馴染みのない清水宏の一つの面、姿でありました。人間というのは色々な顔を持っていまして、どの顔も真実なものでありましょうが、一つの顔だけでその人を判断したり、まして裁いてはいけない。その人の生涯には色々なことがあって、色々な人に色々な表情を持っているのだと、本当にしみじみと思った次第であります。
 いつくしみの特別聖年は終了しました。今日の福音は一匹の迷い出た羊の話であります。わたしたちは迷い出た一匹の羊を大切にするイエスの心を自分の心として司牧に携わっているわけですけれども、この九十九匹のほうのことをなおざりにはできないわけで、一匹さえ救出すれば、九十九匹はどうなってもいいというわけではないわけでありまして。多分わたしたちがしていることは九十九匹の安全はちゃんと確保した上で、一人の迷い出た羊のことを心配し、そして訪ね求めるということなのですね。これからのさいたま教区の歩みを思いますに、難しいというのは、わたしたちは毎日自分が何かしてあげるべき、あるいはしなければならない迷い出た羊のことを思い、懸命に尽くしていますが、自分に委託されている羊の群れのことをなおざりにはできない。両方をしていかなければならないと思う。次々と色々な課題が起こる。色々な問題にぶつかる。そういう中で自分自身をしっかりと保ちながら、しかし一人ひとりのかけがえのなさを深く心に刻みつつ歩んでいく。
 清水神父様は、教区全体の必要とか、さいたま教区の現状とかいうことについて、色々な思いがあったのでしょうけども、一度も話し合ったことはないですね。聖書の勉強に熱心であり、大事典の編纂には一生懸命でしたけれども、さいたま教区のことをどう思っているのかということは、ついぞ聞いたことがない。でも、そこに一人の司祭の生涯があった。自分の身体が病気に蝕まれているということを自覚しながら、それも知りながら、最期の時を向かえました。そういう彼の心境を、わたしたちはほとんど理解していなかったのであります。神父様の永久の安息のためにお祈りいたしましょう。




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