カトリックさいたま教区
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さいたま教区大会



2016年11月3日 宇都宮海星女子学院 さいたま教区大会


第一朗読 知恵の書 11:22〜26
第二朗読 使徒言行録 11:4〜18
福音朗読 ルカ 10:25〜37

第13回のさいたま教区大会にお集まりの皆さん、今日は良い天候に恵まれ、こんなにも多くの方々が集まり、そして神を賛美し、ごミサを捧げることができますことを本当に心からうれしく思います。ご一緒に感謝をお捧げいたしましょう。
ご存知のようにわたしたちはいつくしみの特別聖年を祝っております。昨年の12月8日から始まりました特別聖年は11月20日、王であるキリストの祭日、教皇様が聖ペトロ大聖堂の聖年の扉を閉めることによって、カトリック教会としての聖年は一応、終了になります。
教皇様がお望みになっている特別聖年の課題は、いつくしみ深い人になるということであります。天の父はいつくしみ深い神である。父である神がお遣わしになった主イエス・キリストは天の御父のいつくしみをあらわす、いつくしみの御顔であります。イエス・キリストの教えと生涯は、神がいつくしみ深い方であるということを完全に示してくださっております。
今日の福音朗読に選ばれたルカの10章、有名な良いサマリア人のたとえはその代表的な教えであるといえましょう。エリコの道で一人の旅人がおいはぎに襲われ、半殺しの目に合って倒れていた。そういう情景であります。そこに通りかかった人は神殿で神様に仕える祭司、神様に最も近い所にいるはずの人でありますが、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまった。更にレビ人、この人たちも神殿で神様に仕える人びとでありますが、同じように通り過ぎてしまった。なぜか理由は説明されておりませんが、神様に仕える身なので、倒れていた人に近づいて、身が穢れることを恐れたのか、あるいは面倒なことに引き込まれたくないのか、道を急いでいたのか、たぶん、面倒なことには関わりたくないという気持ちがあったのでありましょう。そして、サマリア人が通りかかった。サマリア人は道で倒れている人、苦しんでいる人を見て憐れに思い、自分にできるあらゆることをしてあげたのであります。
この「憐れに思い」という言葉は、聖書にしばしばでてくる言葉でありまして、深い同情、共感を意味しています。人の苦しみ、悲しみを自分自身の苦しみ、悲しみとして受け取る 人の心と体の状態。頭で感じるのではなくて、心で、体で受け止めること。この「憐れに思い」という言葉は、ヘブライ語、それからギリシャ語に伝えられて、人間の内臓を意味する言葉からでてきた言葉であると説明されています。ギリシャ語で「スプロングニゾマイ」と言います。わたしたちは人が悲しみ苦しんでいると、わたしたち自身、体でそれを感じるようになります。はらわたがちぎれるような思いをするとか、胸がつぶれるなどと申します。わたしたちの心にはそのように人の苦しみを自分の苦しみとして受け止めることができるという素晴らしい神様の恵みを持っているのであります。
ユダヤ人とサマリア人の間には彼らの歴史の中から生じた根深い対立、反感、確執と言いましょうか、そういうものがあったのです。しかし、このサマリア人はそのようなことに頓着せず、すぐにこの倒れているユダヤ人を助けるという行動に出たのであります。
イエス・キリストの伝えた福音は民族の違い、文化の違い、言語の違い、国家の違いを超え、すべての人を神の愛のもとに一つに結ぶものであります。わたしたちの教会は聖霊降臨の時に誕生し、聖霊降臨の時、すでにあらゆる文化、言語の人が聖霊を受け、そして同じ神の民であるということを全世界に示したのであります。
今日の第二朗読は使徒言行録でありました。使徒言行録は聖霊の導きに従って、使徒たちのイエスキリストの福音を述べ伝えていく様子が述べられております。ユダヤ人の習慣、ユダヤ人だけが守ってきた規則、その中に食べ物に関する規則があった。禁忌といいましょうか、タブー、こういうものを食べてはいけない。そういう規則があった。彼らはその規則を乗り越えて、イエス・キリストの福音を多くの人に述べ伝える教会として発展していきました。
今日の第一朗読は知恵の書であります。この前の日曜日、直前の日曜日の第一朗読と同じだと思います。神は自分のお造りになったものをそれぞれ大切に思っておられる。ご自分の作品を決して嫌ったり、憎んだりされない。もしそうならばこれはいらない、これはもう存在する必要がないとお思いならば、神はわたしたちを、この世界を、お造りにはならなかったはずだ。神は存在するものすべてを慈しまれる。そういう内容であります。
知恵の書というのは旧約聖書の中で新約聖書に一番近い時代に作られたものだそうです。新共同訳聖書では旧約聖書続編となっておりますが、たいへん、なぐさめに満ちた内容であります。神がすべてのものを慈しまれるということは、わたしたちのしていることが全部正しくて、何も問題がないという意味ではさらさらない。わたしたちは日々、罪を犯し、少なくとも小さな罪を犯し、あるいは人を傷つけたりしているのであります。そういうことをしてもよいよとおっしゃっているわけではない。そうであっても私はあなたのことを大切に思っています。そういうメッセージを神はいつもわたしたちに送ってくださっております。
わたしたちの間で理解が足りなかったり、あるいは自分のために人を困らせたりするということがありますが、同じ言葉を使っている人間の間でそういうことがあるとすれば、異なる文化、言語の人たちとの間で理解が不十分なのは当然であります。こちらの思うことがよく伝わらない。相手の言うこともよくわからない。あの人たちのしていることはよくわからない。同様にわたしたちのしていることもそう思われているであろう。それでも同じ神様を信じ、同じ神を賛美するということは本当に素晴らしいことだと思います。
今日さいたま教区大会で、皆さんはブロック別に神を賛美する歌を準備し、そして捧げられました。私が拝見していると本当に年の違い、若い人も、高齢の人も、いろいろな国から来た方も、一緒に神様をたたえる、神様に感謝する歌を捧げた。こういうことは本当に我がカトリック教会の誇りとする、自慢してもよいことではないかと思います。
最後になりますが、このように素晴らしい集いを準備して、力を合わせて実現してくださったすべての皆様に心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

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