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教区司祭8月9月の命日記念ミサ



2016年9月9日 司祭命日ミサ


カトリック浦和教会

第一朗読 Iコリント9・16-19
福音朗読 ルカ6・39-42

今日は4人の方の命日を記念してごミサをお捧げいたします。4人の方は共にわたくしたちが、よく存じ上げていた方々であります。島本要司教様、浦和教区の司教を10年間つとめてくださいました。1980年から90年、ちょうど10年間司教をされまして、長崎の大司教に転任、2002年の8月31日という日に帰天されました。大変わたくしたちは、大きな驚きをもってこの知らせを受けとめたのであります。牧野房男神父様ですね。2004年の9月13日に帰天。宮田和洋神父様2010年9月29日帰天。石川能也神父様12年の8月14日帰天。それぞれの方の永久の安息をお祈り申し上げます。
さて、今日の福音の朗読です。
「盲人が盲人の道案内をすることができようか。」という主イエスの言葉であります。更に次のように言っておられます。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか?」自分の目にある丸太を見ないで兄弟に向かって、さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてくださいとどうして言えるだろうか?偽善者よまず自分の目から丸太を取り除け、そうすればきっと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑をとりのぞくことができる。わたくしたちはこの言葉を聞いております。今日のミサのために昨晩ですね、昔の文語の聖書を開けてみました。確か「梁」(はり)という字だと思いますけれど、建物を建てる時に渡す大きな木のことです。もちろん聖書の原文が変わるわけはないので、もう日本ではその古い言葉がなくなって、丸太という表現になっていますが、丸太と言われるとですね、ちょっと興ざめします。
自分の目の中に丸太があるのに、人の目の中にある小さなゴミ、以前は「塵」でしたが、にはよく気が付いて、人の欠点はすぐに指摘することができる。人間とはそういうものなのですね。自分のことはわからない。確かに、だけど目というのは、目は自分の目は見られないのですかね。映してみるんですね。目、顔、自分自身を私たちは何かに映して、そして自分を知る。他の人に映っている自分を見る。鏡に映す。一番確実な、一番間違いのない、鏡というのは神様の光だと思うんですね、その神は私たちを照らしてくださって、自分のことを知るようになる。これは長い修行が必要であって、なかなか自分の本当の姿を知ることができない。一生かかっても完成できない、そういう旅路ではないかと思います。
この平和旬間もう終わりましたけれども、8月の5日から15日の平和旬間で、人間が平和のために働くということはなんだろうかについてつくづく考えさせられました。そこで、しばしば思い出した教えがある。仏教のほうで、三毒という教えでして。三つの毒ですね。人間の心の中に三つの毒がある。それが平和を乱している。その三毒というのは 貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)ということでして、ちょっと難しい字ですけれど、貪というのは貪欲の貪。瞋(しん)というのは怒りというか、憤り。偏が目でつくりが真実の真。真の旧字体ですね。癡というのは病だれの中に疑うという字を入れるんですが、・・癡というのは、知識の知を入れるともっとわかりやすいのであります。癡、もともとは疑うという字だったそうです。そして人間の心はいつも真実を知らずにさまよっている。無明、光、あかりのない状態が、物事がわからない、それが人間の状態だと。本当のことがわからない。あるいは本当のことを、真実あるいは真理を求めようとすらしないのが人間の愚かな状態だという仏教の教だそうです。平和というのは人間が貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)から解放されている状態です。人間がそれぞれ、自分はこうだと思っていて、その妄想にとらわれて、人のことをわかろうとしない。この世界を支配している「ことわり」というものを学ぼうとしないことから、平和が乱されているのだということだそうです。主イエスの言葉は、自分の目の中に大きな丸太があるのに、人の中にあるささいなゴミのようなものをどうしてそんなに問題にするのだという。本当に私たちはそうしているのか?と言葉ではわかるんですけれど、自分の目の中に大きな丸太があるということがわかっていないですね。自分で自分が見えませんので、じゃあ人に教えてもらうんですけれども、あんたの言うことは聞きたくない。という気持ちが働くんですね。あるいは最近よく聞くのは、あんたには言われたくないよ。と。人間というのは度し難いいものです。本当に謙遜に自分の問題を認めることができますように。
今日、命日ミサを行う4人の方々。さいたま教区、浦和教区で生涯を捧げてくださいましたことを心から御礼申し上げ、神様が豊かな報いをお与えくださるように祈りましょう。

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