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平和旬間・東松山教会ミサ



2016年8月13日 カトリック東松山教会


2016年平和旬間・埼玉地区ミサ説教

第一朗読 イザヤ11・1-10
第二朗読 ロマ書8・18-25
福音朗読 マタイ5・1-10

 「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」主イエスは山上の説教で、このように言われました。平和といえば、まずわたしたちは主イエス・キリストを通して、天の御父から罪の赦しをいただくということを考えます。神との和解、わたしたちの良心に神様の恵みが宿っているという時に、わたしたちは心の平安を得ることができると思います。
そして、神との平和は地上において、他の人々との平和となって実現しなければなりません。わたしたちは一人で生きているのではなく、また一人で生きていくこともできません。家族、友人、知人、教会の仲間、会社の仲間、そのほか色々な人との繋がりの中で、わたしたちは人間としての日々を過ごしています。そのような人々との間に、相応しい良い関係を築き、維持していくこと、これは大変な努力を必要とすることです。日々自分の心の状態を見つめながら神様のいつくしみをより深く知り、そして、人々に神のいつくしみを伝えることができますよう祈りたいと思います。
 今日の第一朗読をもう一度振り返ってみましょう。イザヤの預言11章であります。主の霊がわたしたちの上に降り注がれ、それは知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。この主の霊、これは実はわたしたちが堅信の秘跡を受けた時に授かる霊、授かった主の霊の賜物であります。そして、そのあとに述べられていること、これは本当に素晴らしい世界の到来を告げていると思います。平和というのは神様との平和、それから隣人との平和、そしてこの大地です。教皇様の言葉で言えば、わたしたちの共通の家である大地、あるいは自然との平和でなければならないと思います。この地上に住むすべての存在、すべての生き物の間に敵対関係が消滅し、そして互いに助けあう、支えあうという状態が実現している時に、神の平和がこの地上、地球の上で実現しているといえるのではないでしょうか。
 今日のイザヤ書では「狼は小羊と共に宿り」とあります。狼というのは羊を襲う、これは聖書の定番です。そういった中で、「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。」肉食動物が草食になるのです。肉食か草食かと良く聞くけども、とにかく食べるものは草、他の生物を襲って食べたりはしない。「乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。」大丈夫なのでしょうか。これは一つのイメージです。こういう風景が神の支配の完成したイメージと思います。「大地は主を知る知識で満たされる。」我々人間はもちろん主を知るようになり、主の命、主なる神の恵みに与るようになりますが、大地も、主を知る知識で満たされる、という驚くべきことが述べられています。大地がすべて神の恵みで満たされるということです。
 第二朗読では、使徒パウロが、神による被造物の救いを述べています。被造物もあがないに与る日を待っているということは、被造物はまだ救われていないということになります。救いというのは人間のことであると我々は考えますが、聖書によれば救い、あがない、あるいは解放ということはすべての存在、すべての被造物が受けるべき神の救いであるということになります。わたしたちは他の存在、先ほど申し上げましたが、大地に支えられて生きているし、さらにすべての存在はお互いに繋がっているのであります。そういう考えが聖書の考え方であると思います。先ほど申しましたように山川草木悉皆成仏というのでしょうか、山川草木、自然に存在するすべてのものに仏が宿っているという大乗仏教の教えにも通じるものがあると思います。
 わたしたちはもちろん国と国の平和を強く願いますが、大地、自然との平和のことも、この機会によく考えて、自分の生活を改めなければいけないと考えます

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