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WYD派遣式ミサ



2016年7月2日 浦和教会 WYD派遣ミサ


第一朗読 アモスの預言9・11-15
福音朗読 マタイ9・14-17

 2016年のクラクフの世界青年大会に出席される皆さん、旅行の無事を祈ります。
よい体験をし、帰国後はその体験を多くの人に伝え、分かち合っていただきたいと思います。
今年はいつくしみの特別聖年となっています。11月20日、「王であるキリストの日」まで世界中で神のいつくしみをより深く知り、そして分かち合い、そして伝える年であります。フランシスコ教皇は、主イエスは神のいつくしみの御顔であると言っています。神がいつくしみ深いということは、イエス・キリストを見ればわかります。イエス・キリストの言葉だけでなく、イエス・キリストの生涯を見れば、神がいつくしみ深い方であるということを意義深く悟ることができるでしょう。ですから、わたしたちは聖書を学び、お祈りをし、また典礼に参加しながら、イエス・キリストをより深く、より親しく知るようにいたしましょう。
 今日の福音でありますが、新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだと。たぶん、新しいぶどう酒というのはイエス・キリストによってもたらされた神の国の福音、あるいはイエス・キリストが新しく伝えていた神のいつくしみの愛を表していると思います。
先ほどちょっと触れましたが、ヨハネ・パウロ二世は非常に重要な、そして素晴らしい教えをたくさん残されました。その中に「いつくしみ深い神」という回勅があります。この回勅は神のいつくしみとはどういうことかということを丁寧に、そして詳しく述べていまして、聖書の言葉を説明しています。旧約聖書にあらわれている神のいつくしみ、そして新約聖書へと引き継がれ発展した神のいつくしみについて書かれています。本文だけでなく、大変詳しい註がついているのです。是非読んでください。
わたしが、読んでほんとうに強く心に残っているところをお話しします。
「いつくしむ」いう言葉はまだ良いかもしれませんが、「あわれみ」という日本語は、わたしにとってはですけれども、場合によってはあまり良い意味に感じられません。つまり、あわれむ側がいて、あわれまれる側がいて、上に立っている人が下にいる人を見下すというか、蔑むというか、そういうような意味を感じる場合もあるのではないかと思います。神の教えるいつくしみ、あるいはあわれみというのは、そういうような、持っている人が持っていない人に与えてあげる、そういう心の動きではありません、と教皇は言われ、何度も繰り返し説明しています。ほんとうに心から人の苦しみ、人の痛みを分かち合う、共にする、そしてその人をかけがえのない大切な人として尊重する。その人のなかに神様の「いつくしみ深い神」という教えを読んでいただきたいと思います。

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