カトリックさいたま教区
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司牧者大会ミサ



2016司牧者大会  6月30日


第一朗読 アモス7・10-17
福音朗読 マタイ9・1-8

2016年の司牧者大会に参加いただき、共に3日間過ごし、今ミサを捧げて、解散の時を迎えました。この大会を企画し準備してくださいました方々に御礼申し上げます。
今回は信徒の奉仕職という主題を取り上げて、話し合いを行いました。わたしたち教会は、司教、司祭、奉献生活者と信徒の皆様から構成されており、それぞれの役割をいただいております。
司教、司祭、修道者はもちろんですが全ての信徒、信者は洗礼、堅信の秘跡を受け、祭司、預言者の役割、つまり神様に捧げもの、生贄を捧げること、みことばを述べ伝えること、そして人々に奉仕するという役割を与えられているのであります。
教皇フランシスコのご意向によってわたしたちは、「いつくしみの特別聖年」を祝っております。教皇様の度重なる強いご意向に従って、世界中で神のいつくしみをより深く知り、そしてそれを行うようにわたしたちも努めており、さいたま教区も様々な企画、予定を実行中であります。
わたしたちの神はいつくしみ深い。神のいつくしみは人となられた神であるナザレのイエスという人に完全に表されました。イエス・キリストはあわれみ深い神のみ顔であります。イエスの生涯の間で特に最後の3〜4年の期間にイエスに出会った人々は、神のいつくしみに触れました。そして自分が赦されているということを信じたのです。
この赦しということは、どういうことなのでしょうか。特に当時の社会で人々から罪人とされていた人々、あるいは汚れているとされていた人々とイエスは交わりの時をもち、そして彼らの友となりました。そのイエスの様子を見たユダヤ人たち、特にファリサイ人、あるいは律法学者はそのようなイエスの態度や生き方を理解できなかったのです。次第に敵対心を募らせ、そしてついに死へと追いやったのであります。
イエスの宣教生活を述べているのは4つの福音書でありますが、特にマタイ、マルコ、ルカの共観福音書は共にイエスが神の国、天の国の到来を述べ伝えたこと、そして神の国の到来のしるしとして、数々の癒し、悪霊の追放、そして罪の赦しを宣言したことを伝えています。あなたの罪は赦される、赦されているという宣言を神ではないと思われていたナザレのイエスから、その言葉を聞いた人々の驚き、躓きは大きなものであったと思います。
しかし、そういう宣言を受けた当の相手の心には大きな安心と喜びが生まれたのではないでしょうか。人から後ろ指を指されるような生活をしている人々だけではなく、誰しも自分の心の底を覗き、そして日々の生業、仕事を考えてみたときに後ろめたいもの、あるいは納得できない何かがあり、そして、本当に自分で自分を受け入れることが難しいと感じる、感じているのではないか、とわたしは思う次第です。自分でどうにもならない、この状態をそのまま受け入れ、そして赦しを宣言してもらえるとしたら、それはどんな大きな喜びであることでしょうか。
もちろん病気や障がいからの解放、赦しは大変望ましいことではありますが、人間にとって一番深い関心事は自分自身の存在の受け入れ、赦しということではないかと思います。イエスに出会った人の体験、12使徒をはじめ、貢ぎとりのザアカイ、7つの悪霊を追い出していただいたと言われているマグダラのマリアをはじめ、いろいろな人がイエスと出会い、そして解放と赦しの喜びを受けました。わたしたち、それぞれ自分の人生の中で同じような信仰の喜びを受けたのであります。
今、わたしたちのまわりには心の問題で悩んでいる人、あるいは自分自身の存在の意味に自信を持てない人もいます。他方、自分の言動が多くの人にどんな影響を及ぼしているかということについてあまり関心をもたない人もいる。そういう人々に対して、ナザレのイエスという人の生涯、そのいつくしみの生涯を指し示していくことがわたしたちにとって大変大切な任務であり、そうせずにはいられない思いをわたしたちは持っているのではないかと思います。
お互いにこの思いをさらに分かち合い、そして励ましあって、神のいつくしみの特別聖年を父である神様にお捧げするようにいたしましょう。

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