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浦和教会 イエスのみ心祭日のミサ



2016年6月3日 イエスのみ心(パウロ篠原恒一神父追悼)


カトリック浦和教会
第一朗読 エゼキエル34・11-16
第二朗読 ローマ5・5b-11
福音朗読 ルカ15・3-7
6月3日はイエスのみ心の祭日でございます。み心のミサをささげながら篠原恒一神父様の追悼を行います。
折しも、わたくし共はいつくしみの特別聖年を祝っております。イエスのみ心とは、イエスのいつくしみの心、そしてそれは、天の御父のいつくしみの心にほかなりません。天の父がいつくしみ深いようにあなたがたもいつくしみ深いものでありなさい、と主イエスは言われました。
いつくしみ深いとはどういうことか、イエスは、ご自分の生涯、ご自分の言葉、そしてご自分の行い(言葉がそのまま行動となるイエスの生涯)によって、天の父のいつくしみを人々に示し、現し、伝えました。特にその生涯の終わりの時、イエスのいつくしみは痛ましい姿をもって人々に現れたのでした。イエスは十字架にかけられ、その心臓は槍でつかれ、そこから血と水が流れ出ました。
今度の特別聖年の時にわたくし共に示されているいつくしみのイエスのご絵を思い出しますと、それはポーランドのファウスチナという修道女に現された絵だそうですが、心臓から二筋の光の流れがあふれ出ている、という絵でして、これはイエスのみ心に通じるものではないか、というように思われます。
イエスのみ心によって示された天の御父の愛、それは神の痛み、苦しみという言葉で表すことができるのではないでしょうか。わたしたち人間は当然、生身の存在であり、いろいろな時に悩んだり、悲しんだり、苦しんだりする。神様は全治全能のお方ですので、人間のように悩み苦しむ痛みを覚えるということはないのかなとなんとなく思いますが、聖書によれば神ご自身が、わたしたちのために、わたしたちの罪のために痛みをおぼえるのだ、とそのようにわたしたちに伝えていると思います。 
み心の信心というのはそのような神の愛、イエスキリストによって伝えられた神のいつくしみを深く味わい、その愛にこたえましょう、という信仰の刷新運動であったと思います。17世紀後半以来,この信心は大変さかんになりまして、聖心の名を冠した修道会、諸団体や学校などが多数、創られたわけであります。
第二バチカン公会議のあと、なんとなくその傾向は衰えたように思いますが、このたび、いつくしみの特別聖年ということで、再びイエスのみ心の信心とに重なる部分があり、再び浮かび上がってきているように感じます。
このイエスのみ心は牧者であるイエスのみ心であると思います。牧者ということをわたしたち日本列島に住むものはあまり直観することができません。羊のお世話をするとはどういうことなのか、についてほとんど体験がありません。牧者ということばであらわされていることが具体的にどんなことなのかということを、もっと深く知りたいと思います。
旧約聖書のエゼキエルの預言では、牧者は何をなすべきか、ということが説かれています。群れを養うという仕事であります。「失われたものを訪ね求め、追われたものを連れ出し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。」このように言われています。更に思い出すことは、エゼキエルの預言では、良い羊飼いとは自分の群れを養うべきものです。しかし自分の群れをもって自分を養う牧者がいる、と非難しています。わかりやすい日本語にすれば羊を食い物にする、そういう牧者を非難し、そういう牧者を退けて、解任して、自分が直接自分の群れの世話をする、と宣言している箇所があります。
そのようにして、救いの歴史が進展し、ナザレのイエスが現れました。イエスは神の国の福音をとき、失われた羊、迷い出た羊を救い出す喜びを述べ伝えています。それは今日のルカの福音15章です。
さて、その流れの中で、今教会はどうか。今わたしたちは主イエスキリストから、良い牧者であるイエスキリストから、牧者の仕事をするように託されている。本当に良い牧者、イエスキリストに従って、キリストのように良い牧者をしているだろうか。迷っている人、苦しんでいる人、悩んでいる人、病んでいる人に心を配り、目を向け、その人たちのためにわたしたちの生活を捧げているだろうか。なすべきさまざまなことの中で、そのような牧者の仕事を優先させているだろうか。そういうことが問われるように思います。自分に心地よいこと、自分に楽しいこと、自分が評価されることは喜んでやるけれども、骨の折れること、よくわからないこと、疲れることは後回し、あるいは無視するという心の動きをわたしは自分のうちに感じます。
良き牧者として特別聖年をすごすことができますように。迷いでた羊、苦しんでいる羊のために自分の時間、自分に与えられた任務を果たすことができますように共にお祈りいたしましょう。

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