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2018.8.22 (水)  天の元后聖マリア


浦和教会
第一朗読:エゼキエル34.1-11
福音朗読:マタイ20.1-16
(本文)
(そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。)「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

(説教)
イエスの福音は、天の国、神の国の福音と言われております。今日のたとえ話も天の国、神の国を教えるたとえ話であります。
ぶどう園で働く労働者の話、良く知られている話ですが、5時頃雇われた人が朝早くから一日中働いた人と同じ報酬、1デナリオンを受け取ったという話であります。この話をわたしたちはどういうように聞いたらいいのだろうか。最初に雇われた人、朝早くから暑い一日、長時間働いた人の思ったことは、もっともであるというように思わないでしょうか。最後に来た人は一時間しか働かなかった。丸一日暑い中を辛抱して働いた人と、最後のもう涼しくなって、時間も1時間しか働かなかった人と、全く同じ報酬を受けるということには納得できませんという話なのですよね。この納得できないというところが大事ではないかなと思います。もう納得できちゃったらそれで終わりなのですけれども、納得できないというのが神の国の福音である理由だと思うのですね。

わたしたちは、何となく、人生とか社会について、こうであると思っていることがあるわけです。それは常識とか通念とか言われますが、その中に、1時間働いた人は1時間分の報酬をもらう。10時間働いたら10時間分もらう、それが当然違うはずだというのがあります。この社会ではそうなのです。でも神の国は違う考え方で成り立っているのです。わたしたちはイエス・キリストの福音を信じ、そして、その福音を実行するように招かれているわけですが、こういうことを、このたとえ話のような考え方を毎日の生活の中で実行できるでしょうか。まあ恐らくとてもそれは通らないことなのですね。
この、おかしいとか、通らないというところが大切ではないかと思います。

今の社会、わたしたちの常識を改めて考えてみると、その通りに行うと、弱い立場の人、病気の人、能力の乏しい人はますます困難な状態に置かれてしまう。旧約聖書で、この王とは何をするべき人かということを聖書は言っています。王は、弱い立場の人、代表的な人は孤児、それから、夫に死なれた女性、それから寄留の外国人、よそからきて自分のいるべき場所を確保できていない人などを、そういう人を大切にすることが、神から王という任務を授かった人の第一になすべきことである、と書いてありますが、その通りに実行した王というのは非常に少ない。10人に1人ぐらいという感じであります。

8月15日は聖母マリアの被昇天でありましたが、マリアの賛歌というルカ福音書に出てくる有名な賛歌の中で、
「思い上がる者を打ち散らし、権力のあるものをその座から引き降ろし」といっていますが、それは、つまり、今の社会の状態と構造をひっくり返すことが神様のお望みである、ということを乙女マリアが宣言しているのであり、驚くべき内容が述べられているのです。
権力者はその地位から引きずり降ろされる。飢えている人に豊かに食べ物が与えられる。そういう社会は神の国が来ている社会だというように言っていると思います。今、日本の国で、神の国が確かに来ているなあという場合、どういうようなことが行われている所ならば神様のみ心が行われていると言えるのでしょうか。わたしたち自身、わたしたちの教会の在り方も含めて、よくよく反省しなければならないのではないかと思います。

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