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2018.5.19 (土)  東日本大震災ボランティア感謝ミサ


松が峰教会

第一朗読:使徒言行録28・16-20、30-31
福音朗読:ヨハネ21・20-25

福音
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。 ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。 イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
 
説教
東日本大震災の被災者、被災地のために働いてくださった多くの皆様に、今日、この席をお借りして、わたくしからも、心から御礼申し上げます。
明日は聖霊降臨の日であります。今読まれましたヨハネによる福音は、ヨハネの福音の最後のところ、結びの部分であります。イエスが人となられた神であること、イエスをキリストと信ずる人は永遠の命に入ることができることを教え、そしてさらに、天に昇られたイエスから聖霊が注がれるということを教えているヨハネの福音が読まれてきました。いよいよ、聖霊降臨の祭日が明日であります。わたしたちの教会は、聖霊降臨によって成立しました。わたしたちの心にも同じ聖霊が注がれ、わたしたちは毎日聖霊に導かれて歩んでおります。
 使徒パウロも復活したイエスに出会って、いわば電撃的な回心を遂げて、キリストに従う、異邦人に遣わされた人となり、そして最後、ローマにおいて殉教の死を遂げたのであります。そのパウロが、本当に、何と言いましょうか、素晴らしいな、人間業ではないな、と思われる数々の教えを、わたしたちに残した。明日の聖霊降臨の日に読まれます第二朗読は、ガラテアの教会への手紙から採られております。父と子と聖霊の神様を信じていますけれども、何と言っても明日は聖霊が中心になるわけです。聖霊に従って歩みなさい。霊的生活という言葉がありますが、それは霊に従う生活のことです。霊は神の霊、聖霊。聖霊はイエス・キリストの霊でもある。聖霊に従って献げられる生活が、霊的生活であります。聖霊に従って歩む人はまず、愛、そして、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を日々生きる人である、とパウロは言っております。
 東日本大震災という、人々に酷い苦しみをもたらした大変な災害の中で、わたしたちは、キリスト者であっても、キリスト者でない人であっても、心から、自分から望んで、人々と苦しみや悲しみを共にし、生きるという生き方をしたいと望んだのであります。
わたしたちはこの聖霊の促しを受けて、人々のために生きるものでありたいと願っています。自分のためではなく、人々のために生きることが、結果的に自分のためになると言ってよいのではないでしょうか。どんな良いことであっても、自分のために行っていれば、それは心からの人々への良い行いとは言えないのではないだろうか。
ちょっと話は飛びますが、お布施という言葉があります。普通はお坊様にお経をあげていただいた時に、差し上げるお礼のことを言っておりますが、元々はもっと広い意味での「施し」であり、金や物だけでなく、例えば、その人がいつも笑顔でいることも良い施しだそうです。行いや表情とか、何でも、その人のためになる良いことが施しであるそうです。そして、そうでない、不純な、邪な施しはしないようにという教えが仏教にあるようです。どういう場合が良くないかというと、あまりにもしつこく乞われるので断りきれずにする布施、それをしないと具合が悪くなりそうなので、仕方なくする布施、お返しが期待できるのでするお布施、自分の評判が良くなるのだろうと思ってするお布施、こういうのは全部ダメですというのが仏教の教えであります、イエスもほぼ同じことを言っているのではないでしょうか。どれだけ、わたしたちは、純粋に人のためにすることができるでしょうか。皆さん、一人ひとりの心の内は分かりませんが、自分の心について言えば、たとえば、どうしてわたしは自分はいま不愉快なんだろうかと考えてみれば、それは、自分のしたことがちゃんと評価されないと思っているからではないだろうか。そういう自分がある。全然仏教の施しの教えには合格していないなと思うわけであります。
 明日、聖霊降臨の日ですが、パウロは言っております。コリント13章、愛は自分の利益を求めない、苛立たない、恨みを抱かない。聖霊の恵みが豊かに注がれますよう祈りましょう。

(信仰講座:愛は自分の利益を求めない。)

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