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2018.2.14  灰の水曜日 浦和教会 


第一朗読:ヨエルの預言
第二朗読:Uコリント5.20〜6.2
福音朗読:マタイ6.1〜6、16〜18

説教:ダビデの罪
今日2月14日は灰の水曜日でありまして、今年は4月1日が復活祭となっております。この1ヶ月半ほどの期間を、良い復活祭を迎える準備といたしましょう。
今日の灰の水曜日にわたくしが感じていること、思うことを一言二言申し上げたいと思います。
第一朗読はヨエルの預言という旧約聖書ですが、
「衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」
と主が言われると述べています。そして、答唱詩編は詩編51であって、ダビデの痛悔の詩編とよばれている詩なのであります。聖書に出てくる王の中で、一番有名な王、一番たぶん偉大な王はダビデであると思われますが、このダビデは大変な罪を犯した人であります。聖書が素晴らしいのは、良いことばかりでなくて、悪いこともそのまま隠さずに述べているところであります。ダビデがどんなことをしたかということもサムエル記という旧約聖書に出ておりますが、部下の妻のバトシェバという美しい女性を奪って、更にその夫を戦場で死なせるように仕向けたわけです。その次第はかなり詳しく出ております。
そして、ナタンという預言者がいまして、ナタンがたとえ話をもってダビデを戒めた。直接、あなたはこうこうこういう酷いことをしたんじゃないか、とは言わないで、たとえ話をしたのです。そして、彼がそういう無慈悲なことをする人はとても生かしちゃおけないと言うと、その人は実はあなたなんですよ、と言ったのです。そのとんでもない奴はあなた自身なんですよ、と言われた相手は何しろ最高権力者ですから、勇気がいることでした。
でもダビデが偉かったのは、あ、そうか、それは自分のことか!自分はとんでもないことをしたんだ、とすぐに認めたのです。そして、その時に、神様にささげた祈りがこの詩編51であると言われているわけです。
ダビデの罪は姦通の罪、殺人の罪ですよ。その被害者にお詫びしなきゃいけない。・・・でもそのダビデは人に対して、関係者に対して、どういうように謝罪したのか、どういう償いをしたのかわからない、何も書いてない。「わたしは神よ、あなたに罪を犯しました、・・・わたしは神よ、あなたに罪を犯した、わたしはあなたに向かって罪を犯した。どうかわたしの咎を赦して下さい。」そう繰り返し、祈っているわけです。
わたくしたちは、罪のゆるしを願って告解しなきゃならないわけでありますが、「神よ、あなたに罪を犯しました」と本当に思っているかなと、と思います。
司祭が罪の告白を聞く時に、誰かに悪いことをしたり、損害を与えたりしたら、その相手に対して、損害を償いなさい、と指導します。
罪が犯罪の場合はさらに処分を受けなければなりません。犯罪の場合は法律で裁かれます。交通違反なんかをして、あるいは当て逃げなんかをして、これでばれなければそれきりと、ばれないように、とか、ばれたら大変だな、とか、みっともないな、はずかしいな、とか、思うかもしれませんが、あまり神様のことは思わないですね。犯罪の場合、人に対して、社会に対して、違反をした、と思いますが、神に対して罪を犯した、という意識は薄いと思います。
それでは、犯罪とは言えないが罪である場合、例えば、「わたしは今日もこんな変なことを思ってしまった。神様どうかおゆるしください」と神様に祈っているでしょうか。
神よ、わたしはあなたに罪を犯しました、とダビデは祈ったわけです。わたしたちはどうですか。今日、ごミサで、「全能の神と兄弟の皆さんに告白します。わたしは、思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」と告白していますが、本当に神様に心からそう言っているのだろうか
それと関係があるような気がするが、この今日の福音で、イエスが非難しているこの偽善者ですね。・・・確かに自分は偽善者ではあるんです。人からどう思われるかということを非常に気にして、良く思われたい、変なことが知られたくない、というそういう気持ちを持っています。神様は全部知ってるわけです。だから、神様に対して、自分はどうであるかということをもっと大切にすべきなんだけれども、それはちょっと後にしておいて、人に知られないように、人に良く思われるようにするわけですね。きちんとお祈りしてます、ちゃんと節制してます、よくやってます、とか。
もちろん、わたしたちは、人とのつながりの中で、無事に、そして何とか生活し仕事ができるわけだから、人との関係が非常に大切だし、人とうまくいかなければとてもちゃんとやっていけないわけなんですけども、神様との関係をどういう風に思っているかについて、本当に考えなければならない時、特に今日はそういう時かもしれない。

ダビデという人は、そういうようなとんでもないことをしたのですけども、聖書はありのまない、彼の生涯を記しているし、晩年は息子と不仲になって、息子に背かれるというようなことになるわけなんです。しかし、全体的に、ダビデは尊敬されているわけです。彼は、神の前にある自分というものをいつも思って神様に祈っていた、そういう人であるというふうに思います。その点をダビデにならって、今年こそ復活祭の時に神様に自分の心を見せる、見せなくたって神様はご存知なのですけれども、晴れやかにというか、穏やかに迎えることができますようにと願っております。
(ミサ説教による信仰講話、F)

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