カトリックさいたま教区
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イベント報告 PAST EVENTS 2012

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ワレ・ジャン神父通夜

12月3日、ワレ・ジャン神父 パリ・ミッション会《埼玉西ブロック担当・川越教会》が、帰天されました。
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突然の訃報に驚かれた方々も多かったと思います。
このページをつかって参列できなかった皆様に「ワレ神父様とのお別れ」を、お伝えしたいと考え掲載させていただきました。



 司祭達の入堂


聖書朗読は、ワレ神父が生前選んでいた「光あれ」(創世記1章)

 司式・谷司教の説教

「光あれ」
このストラの『み言葉』のようにワレ神父は、皆さんの心の中に、そして、日本の社会の中に「灯火をつける」役割を果して下さいました。
パリ・ミッションの宣教師として、来日して50年の間「日本でごくろうさま、ありがとう」と、さいたま教区の司祭団一同は申し上げたい。

以下は、ワレ神父の思い出をたくさん持っている司祭達の一言♪♪

宣教師として、まじめさの中に人を楽しませる独特な能力を授かっていたと話すローランド神父

片づけをしていたら、出会った人の名前と行った場所が保管しているすべての手帳に書いてあったと話すアントワン神父

 司祭叙階後すぐ大宮教会でワレ神父と共に働いた猪俣神父

ベルサイユの側にあった神学校で同級だったコーナン神父

ワレ神父の前任地での話を語る松が峰教会・ザビエル神父

以下は、パリ・ミッション会管区長シュガレ神父の挨拶から。

「ワレ神父は、12月 3日日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエルの祝日に亡くなりました。彼は、この日パリ・ミッション会の関東地区の集会に参加。
 初めて「さいたま教区司祭・助祭の集まり」を欠席したとのこと。
 わたしは、ワレ神父らしくないと一瞬思ったが、バリバリ働いてきたので、ゆっくりしても良いのではないか・・と思い、あまり心配はしなかった。

 しかし、夜になって司祭・助祭の集まりに出席していたアントワン神父から電話で
 ワレ神父が亡くなったとの報が伝えられた時は、全く信じられなかった。

 彼は本部からの帰路、車で関越道を走行中、新座料金所から約16qのところで、心臓発作を起したとみられ、車は中央分離帯に接触して停車。車は速度を落としてハザードランプを点滅、ギアをニュートラルに入れたままうつ伏せ発見されたとのこと。

 『彼の死にかたは、彼の生き方に合っていた』『廻りくねった道よりも、近道を選んだ』など、生前の付き合いのあった方々の言葉です。
  『彼らしく誰にも迷惑をかけず、そっと立ち去った。』のです。

  ワレ神父の天国のイメージは、ワインとチーズで宴会をしているイメージでした。
  きっと今は、諸聖人の宴会に参加して、地上の私達のために祈っていることでしょう。

 ・・・私達も彼の残した宣教の姿勢を引き継いで、残りの人生を過ごしていきましょう。」
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参列した司祭たち全員で、サルヴェ・レジーナ (Salve regina) を合唱。
(聖務日課の「終課」で歌われる 4つの聖母マリアのためのアンティフォナの内の一つ)



司祭達から献花を順番に


献花には長い行列がいつまでも続いた

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