カトリックさいたま教区
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カトリックさいたま教区

みことばと私 REFLECTIONS



「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
(ヨハネによる福音書1・14)

このページは信者一人ひとりが自分の体験をふりかえり、その中で見つけた”みことばと共に生きる喜び”をわかちあう場です。

みことばと私 - 一覧表示 - カレンダ表示 > 2009年11月(1) - 逆順表示

原点にかえって

2009/11/02(Mon)
1 ヘブル 13:8
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

ヨハネ福 20:27
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
(日本聖書協会 新共同訳)
私は18歳の時、勤務先で誰にでも信頼され、尊敬されている方に出会いました。 彼女がどうして、何故、どこから、あんなに人を魅了する力が湧き出ているのだろうと思っていました。

 ある時、その方が「雨が降っているので、雨やどりしましょう」とさりげなく教会に連れて行って下さいました。 そこで紹介されたイタリア・ミラノ会の神父様のお姿にポーとしてしまい、それから教会に入りびたりました。 そして、奉仕活動に参加しているうちに、その方の信仰がその方を輝かせている事に気が付きました。

 私は2年間、教会の奉仕活動をしていましたが、洗礼は受けていませんでした。 それでも、教理の勉強はそこそこに、20歳で受洗することになったのです。 当時は信仰というものの先に、体調を崩すほど奉仕活動をし、それによって人間的な喜びで満たされていました。

 その後、結婚して精神的な苦しみにあった時、いとも簡単に信仰生活は消えていきました。 けれどもどこにいても、何をしても、神様は私を見捨てず、私を見守っていて下さいました。

 今回、さいたま教区の養成講座に参加させていただき、びっくりしたことが二つあります。

 一つはそのテーマです。 「さまざまな理由で教会に来られない信徒と交わる共同体づくり」という内容で、今にも解散しそうな私たちのレジオ・マリエの活動の報告でした。 レジオ活動も衰退の一途で、あきらめと不安の最中でした。 でもこの日、私は確信を持ってこの活動の素晴らしさを実感しました。  40年以上も前の奉仕活動の時の思いがよみがえって来たのです。

 二つ目は私自身、神様から離れることこそしませんでしたが、細々としたつながりでした。 そんな時、太田教会からレジオ訪問を受け、なまぬるい信仰の火を再び燃え上がらせていただきました。 そのことが鮮明に思い出されて来たのです。

 司教様は講話の中で、「私は最近、ご復活が信じられなくなったとか、ご聖体が信じられなくなったとか、教会が信じられなくなったので、教会に行っていない」と質問をされたら、どう答えるのかという事に対し、結局いずれもがその人自身の問題であるとお話をされました。

 二つの「みことば」はとても単純な表現ですが、私にとってこの「みことば」が信仰心の源として心にうず巻き始めたと思えるのです。 教理の勉強もそこそこに洗礼を受けた私には、とても心に響く「みことば」なのです。

 何か物足りないさみしさ、他人への不満などから、数回にわたりレジオ訪問していただいた時の自分の素直な心が少しずつ、少しずつ見えてきました。

 今回の養成講座は、私にとって、“司牧訪問をする側”と“司牧訪問を受ける側”の両方の気持ちを原点にかえって考え直す素晴らしい体験でした。
カトリック太田教会
鈴木 幸子
群馬県東ブロック


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