カトリックさいたま教区
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みことばと私 REFLECTIONS



「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
(ヨハネによる福音書1・14)

このページは信者一人ひとりが自分の体験をふりかえり、その中で見つけた”みことばと共に生きる喜び”をわかちあう場です。

みことばと私 - 一覧表示 - カレンダ表示 > 2006年11月(2) - 逆順表示

年間第31主日 マルコ福音書12:28b-34

2006/11/05(Sun)
12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
(日本聖書協会 新共同訳)
みことばを読んで

私の属する上三川教会は、約120年の古い教会ですが、小さな教会です。日本人だけの日曜日のミサは10名足らずです。
昨年神父様のお骨折りにより、それまで第二、第四日曜日の月二回のミサが、月一回の英語ミサを加え、月に三回になりました。英語ミサは第二日曜日で、フィリピン人の方が10数名お見えになり、この日は20名を超えます。これを機会に約670坪の教会の庭の草刈や、除草の苦労を少しでも楽しいものにしようと畑をつくり、今年はそこにスイカとさつま芋を植えました。
8月には、スイカパーティーを行いました。 収穫したスイカをフィリピン人と共に味わい、その喜びを分かち合いました。 また、日頃お世話になっている教会にもお配りすることができました。 
10月には、多国籍の人と共に芋ほり体験を行い、その後で手作りの畑とコスモスの花でいっぱいの教会の庭で野外ミサをしました。 少し風が強い日でしたが、暑くも寒くもない秋の日の午後に戸外でミサに預かり、神様に感謝です。
ミサ後、大勢の方と芋パーティーを分かち合いました。 掘り出した芋は各々に配り、収穫祭は盛況のうちに終わりました。
また、10月の第四日曜日には、前回来られなかった隣市の真岡教会の日曜学校の子供たちや保護者が芋ほり体験をしました。

このような教会活動を通して“自分のように隣人を愛しなさい”ということを少しずつですが、実践できたらと思っています。
栃木県第2ブロック・カトリック上三川教会
飯島 正之


年間第33主日 マルコ福音書13:24−32

2006/11/19(Sun)
13:24 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、
13:25 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
13:26 そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
13:27 そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
13:29 それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
13:30 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
13:31 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
13:32 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。
(日本聖書協会 新共同訳)
ベルを鳴らしてください。
該当する週の福音を読んで自分の経験とか感想を書いてくださいということの手紙が届きました。本当に困りましたね。まずは本人の下手な日本語で、次は福音(マルコ13:24―32)の内容(主の再臨といちじくの木のたとえ話)で。なんと言いづらい内容ですか。日本語は矯正していただいたらいいですけど、内容はどうしたらいいかなかなか思いつきませんでした。そうするうちに昔のことが思い出しました。

幼い頃、父が退勤して帰るのを大変待てた時期がありました。父が帰ってきた時にいつも手に持っていたアイスクリームやお菓子を待ってたということがもっと率直な理由でしょう。父にはわるいですけど。

だいたい時間になると外の音に耳を傾けます。そうしてしばらく時間が経つと聞こえました。ほかの自動車とは違うその独特な音、エンジンが消える音。わたしと妹はすぐドアの前に行ってドアを開く準備をします。すぐベルが鳴れば門を開けて父とアイスクリームを歓迎しました。もう25年以上過ぎたなつかしい思い出ですね。

  イエス様は今日の福音に書いてあるいろんなしるしが起こるのを見たら‘人の子が戸口に近づいている悟りなさい’と言われています。でも、なんと分かりにくいしるしでしょう。天体のいろんな変化はなんとかわかりますが、その前に起こる戦争、飢饉、地震は人類の歴史上起こって来たものでしょう。でも、何の意味ですかね。あるいはイエス様は天に昇られた時からずっと戸口の近くにいらっしゃったかもしれないですね。門を開けてくれる人を待ちながら。

いつも固く閉じているわたしたちの門の外で、他人には絶対開かないわたしたちの固い心の門の外で、イエス様、まず、わたしたちの戸口まで来てくださってどうもありがとうございます。でも、わたしこんな鈍い人間はあなたがいくらドアの前に立ていても絶対分からないですよ。いつも他のところに目を向けています。あなたがいらっしゃっていることを分かってもドアが厚くて、重くて あなたを、あなたが共にいらっしゃる人々を受け入れることが難しいですよ。わたしの心のドアを、頭のドアを薄く、軽くしてください。それ前に、あなたが来ていらっしゃることを分かるように教えてください。幼いとき、父自身が、アイスクリームが着いたことをベルで知らせてくれたように、どうぞ、わたしの心のベルを鳴らしてください。
さいたま教区神学生
ルカ・カン・ミンジュ


 [みことばと私] 




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