みことばと私 REFLECTIONS
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
(ヨハネによる福音書1・14)
このページは信者一人ひとりが自分の体験をふりかえり、その中で見つけた”みことばと共に生きる喜び”をわかちあう場です。
みことばと私
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> 2006年10月(4)
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年間第26主日 マルコ9:38−43,45,47−48
2006/10/01(Sun)
9:38 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 9:39 イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。 9:40 わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。 9:41 はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」 9:42 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。 9:43 もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。 9:45 もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。 9:45 もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。 (日本聖書協会 新共同訳) |
英語で答えた小さな親切 先日、自分の病気を調べるために病院へ行って来ました。 私は体調を崩して以来、会う人、話す人みんなが自分の事を気遣ってくれていることを実感し、本当に嬉しく思っています。 人は病いに倒れて初めて人々の優しさが身に沁みるのでしょう!! 神様からの恵みと思っています。 この間”ケリー神父様が酒田に来てどれほど苦労したか”について話を聞きました。 (この人は、ケリー神父様と親しかった人で、今から40年くらい前の事です) 私は、一人の宣教師として言葉や習慣の違う日本に来て、生き抜いたケリー神父様に頭が下がる思いです。 或る日、友人の彼は目がくぼみ痩せた変な外国人が、ガソリンスタンドの社長さんとたどたどしい日本語で話し合っているのを見ました。 彼はそれを見てカトリック教会の神父さんだと分かり、次の日早速ケリー神父さんのいうる酒田カトリック教会を訪ねてみました。 英語で話しかけてみたところ、何と英語で返事があったのでびっくりしたし嬉しくなったそうです。 (当時は英語で答えてくれることはとても珍しい事でした。) 「神父さん、毎日何を食べているの?」と質問したそうです。神父さんは黙ってインスタントラーメンを持ってきて、彼の目の前で袋を破いて固いラーメンをボリボリ食べ始めるのを見て、彼はショックを受け目を白黒させたそうです。 ラーメンの食べ方を知らなかった神父さんに作り方を教え、かわいそうに思って神父さんの為に美味しい”すきやき”を満腹になるほど食べさせてあげたそうです。 ケリー神父さんが英語で返事をしてくれたことがきっかけで、二人の間がとても仲良くなれたことに感謝していました。 彼は神父さんの小さな親切に温かなものを感じ、それが大きな愛に変わったのです。 知らない人に一杯の水をあげた小さな親切が、実は神様に愛が届くことなのです。 毎日小さな親切を心がけて生きるように努力いたしましょう。 神に感謝 |
イエズス・マリアの聖心会 助祭 中沢 亨次郎 茨城県東ブロック |
年間第27主日 マルコ10:2−16
2006/10/08(Sun)
10:2 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 10:3 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 10:4 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 10:5 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 10:6 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 10:7 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 10:8 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 10:9 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 10:10 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 10:11 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 10:12 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」 10:13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 10:14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 10:15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 10:16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 (日本聖書協会 新共同訳) |
子供から学ぶ 私は、学校法人北関東カトリック学園に勤務しています。 この学園はフランシスコ会士が創立した栃木県内5つの幼稚園を経営しています。 9月から来年度の園児募集が始まりました。 栃木県では宇都宮市を除く全ての市町村で出生数が減少しているので、各幼稚園は園児募集に躍起になる時期です。 また、運動会の練習でちょっとした緊張感にも包まれています。 事務所のある鹿沼聖母幼稚園では、園児たちは、朝、園バスから降りるとルルドの池の周りで「めでたし」を唱えて園舎に入ります。 3歳の年少さんも「主の祈り」もすっかり憶えました。 10時、園庭からわくわくするような音楽が流れ、運動会の練習が始まります。 開会式の練習から始まります。 先生の吹く笛に答えて元気な園児たちの「ファイト! ファイト!」という声が聞こえます。 五十五年前後、この地を踏んだフランシスコ会の神父が、福音宣教のため教会建立と同時に考えたのは幼稚園の設立でした。 地域に根を下ろす有効な手段を考えましたが、今日の聖書のことば「子供たちをわたしのところに来させなさい」というイエスさまの声を聞いたのだと思います。 それ以来5つの幼稚園、−聖アントニオ幼稚園(日光市)、聖ヨゼフ幼稚園(旧今市市)、烏山聖マリア幼稚園(旧烏山市)、聖家幼稚園(大田原市)、鹿沼聖母幼稚園(鹿沼市)−は教会と車の両輪となって福音の種まきを続けてきています。 どれだけ多くの子供たちが「主の祈り」と「めでたし」を憶えて育ったことでしょう。 イエスさまは強く言います。 「神の国はこのような者たちのものである。 子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 私たちは子供たちから学ばなければいけない |
カトリック大田原教会 山崎 善通 栃木県北ブロック |
年間第28主日 マルコ 10:17−30
2006/10/15(Sun)
10:17 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 10:18 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 10:19 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 10:20 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 10:21 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 10:22 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 10:23 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 10:24 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 10:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 10:26 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 10:27 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 10:28 ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 10:29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 10:30 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 (日本聖書協会 新共同訳) |
「金持ちの男」 金持ちの男はひざまづいて尋ねた。(この姿を」想像しただけでこの男がおきてを守る敬虔な信者と思う) 敬虔な信者と思う「永遠の命を受け継ぐには何をすればよいでしょうか?」かと尋ねた。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」このようなことは「持っている物を売り払い、貧しい人に施しなさい。 そうすれば天に宝を積むことになる」・・・男はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。 沢山の財産を持っていたからである」と。 私は年金生活者、沢山の財産はないけれど、それでも今日一日、明日も年金制度の破綻がなければ何とか暮らしていけると思っている。 世界中を見渡した時、この状態がいかに恵まれた金持ち状態であると思うが、様々の募金や献金、教会維持にもっているものを売り払うほどの気持ちで献金や募金維持費を出しているか?と自分に問うたとき私も金持ちの男と同様きを落として去っていく一人である。 毎日毎日の生活の中で考える間もなく、「天に宝を積む」か「気を落として去っていくか」の選択を迫られているのではないかと思った。 そして、無意識のうちにどちらか選択している。 そしてそれが積み重なったのが私という人間性なのかもしれない。 生活の中で(無形、有形にかかわらず)人に施す、譲るというは大変な事だと思う。私が、私がと思ってしまっている私ですからまだまだ神の国に入ることはむずかしい、むずかしい。 |
カトリック峰教会 中田 タカ子 |
年間第30主日 マルコ10:46−52
2006/10/29(Sun)
10:46 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。 10:47 ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 10:48 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 10:49 イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 10:50 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 10:51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 (日本聖書協会 新共同訳) |
信仰をいきるとは 神に創られたものとして、その信仰を生き続けるバルティマイ。 人が夥しく何かの能力に欠けるとき、体験する不自由さ、無念さの連続は人間を打ちのめすに充分でしょう。 一方で、自然的には過重な境遇を引き受けながら、誰もが願い求めている「幸い」を生きる方々が居られるのもわたしたちは知っています。 人生を不毛で、怠惰と利己的に生きることなく、変えられるよろこび・信仰を生きるまなびの道を。 盲人で道端に座る物乞い。 人々からどのように処され、どれほどのことを体験してきたのでしょうか。 そこで聞き耳を立てながら座るバルディマイ。 イエスが居られるのを知ると「ダビテの子よ、 わたしを憐れんでください。」と自分の惨めさを顕にしながら、憐れみを叫び続ける。 主が立ち止まるほどのイエスへの期待、希望、信頼と確信を含んだ叫び。 わたしはいつ、人々の前でこのような"憐れみを乞う信仰表現をしただろうか。 上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところにいくバルティマイ。 探し続け、信じる方に出会えるよろこびに踊り上がる人。 わたしは生活のなかで主を探し、出会うよろこびをこのように証しているだろうか。 「どこで主に会えますか?」と尋ねた若い人にある知恵者の応えは、「お前のまん前におる。」「なにゆえわたしには見えませんか?」と弟子。 「酔っ払いは何ゆえ自分の家を見失うのか?」「お前を酔わせているもの、先ずそれを見つけ出すのじゃ。 ものごとをみるのは、しらふでなけりゃならんから」 そう、しらふの彼は"自分は盲人だと意識していて、「目が見えるようになりたい」と願えたのです。 私は何に酔い、酔わされ、意識をなくしているのでしょうか。 アルコールでないことは確かですが、知らずして叫べないのです。 見えるようになると、直ぐ、なお道を進まれるイエスに従うバルディマイ。 救われた人は、神に従う奇跡に招かれ、いとも容易にイエスに従った。 不自由さの中で人間に向かい呟くことなく、ありのまま神に向かって叫びをあげ、願い、祈り、自分の限界を卑屈にではなく受けていた人、出来事に関心を持ち続け全身を耳にして聴く人、聴いたことをそのまま受け取り、生きる人。 神だけを頼りにする"貧しい人。 それにはほど遠い"富むものであるわたしも、 酔いから醒めてその道を生きたいのです。 |
聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会 Sr. 吉沢 D.C 群馬県西ブロック |
[みことばと私]