みことばと私 REFLECTIONS
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
(ヨハネによる福音書1・14)
このページは信者一人ひとりが自分の体験をふりかえり、その中で見つけた”みことばと共に生きる喜び”をわかちあう場です。
神様との出会い
2010/09/20(Mon)
(日本聖書協会 新共同訳) |
神様が、私を母の体内にて呼びかけて下さり、この世に生を頂き、今年の7月9日で78年の月日が流れました。 母は私が5歳の時、父と4人の姉妹を残して帰天致しました。 父は国際聖母病院にて入院治療を受けていた母がここ一両日中に神さまの元に旅立つ事を知らされ、残して行く4人の子供と母との最後の別れをさせたいと母に告げました。 その時母は「お父さんには心から感謝します。 私は神様がなさる事をようやく受け入れる心を頂きました。 子供達に逢うと私の弱い心が乱れてしまうかも知れませんので、神様のみ旨に委ねたい」と言ったそうです。 この時の両親の心は、言葉では言い表す事の出来ない苦しみと悲しみだったと思われます。 私は両親の歩んできた信仰生活には、未だ足元にも及ぶ事は出来ません。 子供の頃は、心も体も元気で明るく育ててもらいました。 私の苦しみは結婚してから始まりました。 それは、母の体質を受け継ぎ、入退院を繰り返しながら3人の子供に恵まれ、姑、叔母、姉達、また周りの方達に助けられ守られながら、子供達は成長して来ました。 父と同じ様に、主人にもどれほど心配を掛け、迷惑もかけたか計り知れません。 でも、今考えた時、あまり感謝はしていなかったように思っております。 その様な状態でも私には、唯一の喜びがありました。それは子供達の存在でした。 自分の持っている愛のすべてを注ぎ続けて、宝のように育てて参りました。 そして、2年前にまた病気にかかり、とても元気で丈夫だった主人も年齢を重ねていくうちに身体中が故障だらけになり、姿を見ているのも辛くなってしまう程、衰えてしまいました。 私の体調も回復の兆しが見えない時、早く入院することが出来たらこんなに長引かなかったのではと思い、イライラする毎日が少し続きましたが、全能の神様は大きな恵みを私でも理解できる方法で下さいました。 それは、私のように自分勝手に生き、周りの人には思いやりも少なく、罪の固まりのような人間も、このまま人生の最後を迎えることは、かわいそうと思われたのかなと勝手に考えました。 両親の教え(信仰)を、人ごとのような心で生きてきました。 ただ、祈ることだけは習慣で、心のこもらない口先でけの祈りだったのかもしれません。 でも、私が宝と思っている3人の子供達は、きちんと神様に委ねる祈りの心と、他の人を思いやる心優しさを持って成長してくれました。 長男は結婚してすぐに家族信者になる恵みを頂き、2人の子供と4人で平和に暮らしております。 長女、次女も私にはまったく似ても似つかない優しさに溢れ、神様を心から大切に思い、出来る限り実行に移しながら人生を歩んでおります。 神様も永年洗礼という大きな恵みを頂きながら、私のような人間を憐れに思い、最後の病気を下さったのだと考えられるようになりました。 病気は苦しいですけれど、神様の下さるお恵みは、どれ程素晴らしい大きな大きな賜物だと、私が理解できるようなたくさんの幸せを感じさせて下さっております。 そして、何よりも自分の一番身近にいる主人の大切さも知らせて下さいました。 今更ですが、心の中では申し訳ないと思えるようになりました。 現在の私の喜びは、御ミサに与れる幸せを心に止めながら、神様にお願い事やお話することです。 また、主人と二人で毎日「教会の祈り」「ロザリオ聖書」を読み、何をおいても生活の中心として祈り、この2年間病気の苦しみを何倍もの恵みと喜びをかみしめ、一日一日をみ旨に委ねながら、大切に過ごさせて頂いております。 病院の先生に「5分10分の少ない距離でも積み重ねが必要だから頑張りなさい」と言われ、寝たきりにならないように毎日歩いておりますが、その時も心の中で「ありがとうございます」と感謝のひとときを過ごさせていただいております。 ありがとうございました。 神に感謝。 (カトリック太田教会広報誌アニュスより) |
カトリック太田教会 山崎 ツル子 群馬県東ブロック |
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